第12日目 ピーへ移動(車貸切)
旅も終盤が近くなりました。昨日予約していたタクシーは9時前から出発準備完了、宿の前で待ち受けていました。パガンには3日間の滞在となり、愛着も湧きのんびり観光することが出来ました。又の訪問を狙いたいと思います。特にライライチョーの家庭訪問は心に残りました。この町はいつも外人観光客で溢れ、少しですが、観光公害の影響を受け人々の心は濁り始めています。しかし、周辺諸国に比べるとまだまだ素直さ、穏やかさが残っています。
貸し切りタクシーは8時間の行程で400キロ離れたピーに南下です。当初夕方4時半発深夜12時着のヤンゴン行き高速バスの途中下車を計画していましたが、まだFEC(ミャンマードル)がたくさんあまっています。思い切って車をチャーターです。トンはもったいないねと言いながらも、実際に車に乗って移動を開始すると、やはりタクシーはいいねと大喜びしています。しかし、10時過ぎになると、冷房のない車は蒸し風呂状態となり、炎天下の埃の中を疾走です。今は乾季で周辺は乾ききっています。雨季が始まるまでまだ3ヶ月以上待たなければなりません。それは、まさしく過酷なる耐久レースそのものでした。窓を閉めると熱地獄、開けると埃地獄です。ちなみにお値段はこの距離で66ドル(9000円)日本では信じられない価格です。しかし、予定よりも早く到着することが出来、床ズレラインカーよりも快適なのは間違いありません。
トンの家はピーの手前2時間の距離にあるアウンランから船に乗って対岸のタイェットという町に入り、更に超オンボロラインカーで2時間乗ってから歩いて1時間の距離にあるそうです。そんな中継地点にあたる町で一休みです。それにしても、この車(トヨタ)は機嫌よく動いてくれました。運転手も温和そうな人柄で快適な旅を楽しむことが出来ました。道中で見かける民家は質素、簡素そのものです。通りかかる車は全て時代物ですが、荷物と人を満載し、排気ガスをもうもうと、そして乾いた大地の埃ももうもうとあげて走っていく姿には、貧しさは感じません。日本の国では、がら空きの列車が走っています。むしろ後者に貧しさを感じてなりません。時々ラインカーを追い抜くのですが、外からみると凄い乗り物に乗っていたのだと感服してしまいます。でもその車内は人との触れ合いの場といえるでしょう。ワンマンバスの会話のない日本のバスと威勢良く運転手と車掌が声を掛け合って走るオンボロラインカーのどちらに軍配が上がるのでしょうか?そして、私達が築き上げた高度成長、科学の発達は私達の生活を便利にする反面失われたものも多くあるのは確実です。この国では市内バスの料金は数円という単位です。日本では100円単位で、その支払いのために働かなくてはなりません。
がら空きのバスよりも満員ラインカーが効率の良いのは当然です。しかし、場所によっては一日数本しか運行されなかったり、満員になるまで発車しなかったりするのが常です。時間を金で買っているのが日本の社会です。こうして時間が余っても人との会話をすることはなく、無言でコンピューターに向かい、TVやビデオを見て時間が過ぎていくのです。
この国の平和さは、そこに住む人々が作り上げることで出来上がるのであり、外部から影響が少ないのが、ここミャンマーの特徴です。我々は一介の旅行者ですが、若し全てを日本流に振舞うならば、結果的にこの国の文化を破壊していくことになるでしょう。郷に行ったら郷に従うというのが旅の原則かと思います。現地の人々との対話、どのようなかかわり方をするべきか、考えさせる旅でもありました。しかし、今回はこのようにして、不思議なコンビで大きな摩擦もなく、全てがスムーズに運びました。各人の個性が不思議と波長が合ったのは間違いありません。ナイン・ウィン・トンは、典型的な農村の青年を代表しているものと思います。しかし、家の躾や育ちも影響していると思います。又私達も今回のメンバーだったからこそ、お互いに気を遣うことなく、普段の生活方法で何十倍もの楽しみを得ることが出来ました。
真剣に本人が考えていることが一つありました。マンダレーの丘で私と一緒に写真をとりたかったのですが、外国人料金のことで私が辞退したのでショックだったそうです。村に写真を持っていって両親に見せたいという本心が見えて来ました。ピーには有名なお寺シュウェサンドー寺院があります。明日はあそこに張り付いている記念写真撮影屋に頼んで皆一緒の写真を撮るのだと張り切っていました。恥ずかしそうに、日本のお父さん、お母さんという言葉が口からぽつりと漏れたのは確かです。
私達旅行者はカメラを抱え、無尽蔵に写真をとりまくっています。しかし、彼らにとって写真は貴重な存在です。有名観光地では決まってカメラをぶら下げた半日仕上がり保証の写真屋さんがいます。大半のミャンマー人はこれを利用して旅の記念に持ち帰ります。彼らにとっては一枚の写真が全てを物語る貴重な材料になっています。写真に麻痺した私達は何枚撮影しようが、どこで撮影しようが、そして、それらを後日眺めても思ったほどの感動は沸きません。私達は物質文明の虜になって不幸な日々を暮らしているのではないでしょうか?私達がこのように多くの写真を撮っているのをトンはどのように感じていたのでしょうか?
昨日パガンから電話をしてピーの宿を予約したのですが、一部屋しかありません。そんなわけで分散宿泊となりました。分散といってもすぐ近くですから何の不自由もありません。夕食はトンの好きなミャンマーカレーの店で乾杯です。今日も一日お疲れ様でした。トンも村に帰る日が近くなり、何となく嬉しそうです
貸し切りタクシーは8時間の行程で400キロ離れたピーに南下です。当初夕方4時半発深夜12時着のヤンゴン行き高速バスの途中下車を計画していましたが、まだFEC(ミャンマードル)がたくさんあまっています。思い切って車をチャーターです。トンはもったいないねと言いながらも、実際に車に乗って移動を開始すると、やはりタクシーはいいねと大喜びしています。しかし、10時過ぎになると、冷房のない車は蒸し風呂状態となり、炎天下の埃の中を疾走です。今は乾季で周辺は乾ききっています。雨季が始まるまでまだ3ヶ月以上待たなければなりません。それは、まさしく過酷なる耐久レースそのものでした。窓を閉めると熱地獄、開けると埃地獄です。ちなみにお値段はこの距離で66ドル(9000円)日本では信じられない価格です。しかし、予定よりも早く到着することが出来、床ズレラインカーよりも快適なのは間違いありません。
トンの家はピーの手前2時間の距離にあるアウンランから船に乗って対岸のタイェットという町に入り、更に超オンボロラインカーで2時間乗ってから歩いて1時間の距離にあるそうです。そんな中継地点にあたる町で一休みです。それにしても、この車(トヨタ)は機嫌よく動いてくれました。運転手も温和そうな人柄で快適な旅を楽しむことが出来ました。道中で見かける民家は質素、簡素そのものです。通りかかる車は全て時代物ですが、荷物と人を満載し、排気ガスをもうもうと、そして乾いた大地の埃ももうもうとあげて走っていく姿には、貧しさは感じません。日本の国では、がら空きの列車が走っています。むしろ後者に貧しさを感じてなりません。時々ラインカーを追い抜くのですが、外からみると凄い乗り物に乗っていたのだと感服してしまいます。でもその車内は人との触れ合いの場といえるでしょう。ワンマンバスの会話のない日本のバスと威勢良く運転手と車掌が声を掛け合って走るオンボロラインカーのどちらに軍配が上がるのでしょうか?そして、私達が築き上げた高度成長、科学の発達は私達の生活を便利にする反面失われたものも多くあるのは確実です。この国では市内バスの料金は数円という単位です。日本では100円単位で、その支払いのために働かなくてはなりません。
がら空きのバスよりも満員ラインカーが効率の良いのは当然です。しかし、場所によっては一日数本しか運行されなかったり、満員になるまで発車しなかったりするのが常です。時間を金で買っているのが日本の社会です。こうして時間が余っても人との会話をすることはなく、無言でコンピューターに向かい、TVやビデオを見て時間が過ぎていくのです。
この国の平和さは、そこに住む人々が作り上げることで出来上がるのであり、外部から影響が少ないのが、ここミャンマーの特徴です。我々は一介の旅行者ですが、若し全てを日本流に振舞うならば、結果的にこの国の文化を破壊していくことになるでしょう。郷に行ったら郷に従うというのが旅の原則かと思います。現地の人々との対話、どのようなかかわり方をするべきか、考えさせる旅でもありました。しかし、今回はこのようにして、不思議なコンビで大きな摩擦もなく、全てがスムーズに運びました。各人の個性が不思議と波長が合ったのは間違いありません。ナイン・ウィン・トンは、典型的な農村の青年を代表しているものと思います。しかし、家の躾や育ちも影響していると思います。又私達も今回のメンバーだったからこそ、お互いに気を遣うことなく、普段の生活方法で何十倍もの楽しみを得ることが出来ました。
真剣に本人が考えていることが一つありました。マンダレーの丘で私と一緒に写真をとりたかったのですが、外国人料金のことで私が辞退したのでショックだったそうです。村に写真を持っていって両親に見せたいという本心が見えて来ました。ピーには有名なお寺シュウェサンドー寺院があります。明日はあそこに張り付いている記念写真撮影屋に頼んで皆一緒の写真を撮るのだと張り切っていました。恥ずかしそうに、日本のお父さん、お母さんという言葉が口からぽつりと漏れたのは確かです。
私達旅行者はカメラを抱え、無尽蔵に写真をとりまくっています。しかし、彼らにとって写真は貴重な存在です。有名観光地では決まってカメラをぶら下げた半日仕上がり保証の写真屋さんがいます。大半のミャンマー人はこれを利用して旅の記念に持ち帰ります。彼らにとっては一枚の写真が全てを物語る貴重な材料になっています。写真に麻痺した私達は何枚撮影しようが、どこで撮影しようが、そして、それらを後日眺めても思ったほどの感動は沸きません。私達は物質文明の虜になって不幸な日々を暮らしているのではないでしょうか?私達がこのように多くの写真を撮っているのをトンはどのように感じていたのでしょうか?
昨日パガンから電話をしてピーの宿を予約したのですが、一部屋しかありません。そんなわけで分散宿泊となりました。分散といってもすぐ近くですから何の不自由もありません。夕食はトンの好きなミャンマーカレーの店で乾杯です。今日も一日お疲れ様でした。トンも村に帰る日が近くなり、何となく嬉しそうです