第7日目カローからマンダレー
高原の朝は清々しいものがあります。タージ行きの列車は12時発ですから時間はまだたっぷりあります。日本の光景に似た松ノ木林の散策は心を楽しくしてくれます。どこからともなく、可愛い子供が私達に花をささげてくれます。これがネパールなどでは決まって後でお金を請求され、がっかりするのですが、ここではそんな心配はありません。道路わきに咲いた可憐な花を摘んで追っかけてきます。恥ずかしそうにハイどうぞと手渡して去っていくのです。そんなことが2度もありました。
さて、列車は12時出発ですから、30分前から乗車券の販売が開始になります。指定された時刻に駅に到着すると、駅員が申し訳なさそうに「貴方の列車は5時間の遅れです。バスを利用してタージに行くのが良いでしょう」と説明してくれました。これは大変なことになりました。計画変更です。この列車には2度乗ったことがあります。道中の景色は抜群で33回のスイチバックも圧巻です。80キロの山岳地帯をゆっくりと6時間かけて運行する観光ルートです。バスでいけば3時間少々で目的地に入ることが出来るのですが、列車の旅も体験したいものです。そんなもくろみが瞬時にして消滅したのです。スシ詰めのラインカーの世話になるしかありません。トンは屋根の上に席を確保しました。私も見習って屋根の上です。視界良好180度の展望が開けて悪くはありません。ラインカーは山道ゆえにそんなに早く走ることは出来ません。車両が古いのでエンジンの音だけがやたらと煩く聞こえるのです。オバサマたちは外国人料金で一人1,000チャットを請求されました。その分は責任を持って優先席を提供してくれます。地元の人は400チャットです。始めは高原地帯のさわやかな風を浴びての快適な屋根の上でしたが、山を降りるのにつれ、気温が高くなり、埃の分量も増えて来ました。あと1時間の辛抱というところでラインカーはノックダウンしたのです。しかし、それも手馴れたもので、20分で修復を終え再び疾走です。道中でオイルを補給したのは良かったのですが、しばらくはエンストの繰り返しです。一体この国の車はどんな性格をしているのでしょうか?5回ほどエンストを繰り返しようやく本調子にもどりました。合計3時間半の間揺られつづけた甲斐あって、お尻には床ずれが出来たのは私だけではなかったようです。しかし、我々は果敢にもそんな苦痛は何のその、逞しく次へ次へと行程をこなしていったのです。
隣の席(屋根の上)に乗っていたミャンマー人が「私はヤンゴンに行くのに列車を利用します。貴方もヤンゴンですか?一緒に駅に行きましょう」と気を使ってくれました。そんなわけで無事駅に到着。時間を確かめるとマンダレー行きの列車は時刻表では6時半ですが、1時間遅れて7時半に到着するとの話です。所要時間は3時間ですから、マンダレーには10時半が到着だと納得して切符を購入しました。べらべらとミャンマー語でまくし立てあっという間に切符の手配が済みました。外人は3ドル、ミャンマー人は100チャットです。周囲の人々、そして駅員も私のミャンマー語にあっけに取られたようです。出発までまだ3時間ありますから、近くの喫茶店で休憩し、更にレストランで休憩するはしご作戦を展開です。陽が落ちて涼しくなり、この3時間の休憩ですっかりと疲れが取れました。
さて、列車が到着する7時半を目がけて駅に戻ったのですが、更に1時間遅れるとの話です。となるとマンダレーの宿につくのは真夜中になってしまいます。あれあれ、この町に泊まって明日の朝の列車で行けばよかったのかなと後悔の念が沸いてなりません。しかし、切符は既に購入しました。もうしばらくすると列車は間違いなく入線します。もう覚悟を決めるしかありません。マンダレーは以前にも数回訪問したことがあり、駅と宿はそんなに遠くはありません。何とか解決できるでしょう。そんな一抹の不安を抱えながらの夜汽車です。木製の座席が並ぶ古い車両にオバサマたちは、不平不満を述べることなく、逆に過去の夜汽車の旅を連想して楽しんでいました。私としては、一刻も早くマンダレーに到着することを願うしかありません。そんな時に限って信号待ちや対向列車の交換に時間がかかるものです。車内は勿論ミャンマーの庶民の匂いが立ち込めています。他の国に比べて安堵感があるのが何よりもの救いです。
とうとう列車はマンダレーに到着しました。時計を見ると11時45分です。列車を降りるとサイカーの客引きが待ち受けています。そんな中を掻き分けて駅前にたどりつき2台のサイカーに分乗し、ひっそり静まり返ったマンダレーの町を15分ほど揺られ、以前宿泊したガーデンホテルに到着です。宿の玄関はもう鍵がかかっていましたが、玄関に近いところに従業員が眠っています。地元の世話好きな人がひょっこり現れて、起きろ起きろとガンガン鉄格子の戸を叩いてくれました。まもなく、受付の電気がつき見覚えのあるタミル系のオジサンが我々を迎えてくれました。即私はタミル語を交えて料金の交渉です。めでたく成立、冷房付きの部屋は一人5ドル、トンは1800チャットで利用できることになったのです。まさしくこの日は危機一髪に長い日だったのです。それにしてもオバサマ達の元気ぶりには脱帽です。何かしら耐久力のレースをしているかのような今回の企画にべったり張り付いて病気知らず、医者要らずなのです。竹串刺傷事件やチョット下痢気味というマイナーなことはいくつかあったようですが、いずれも大事には至っていないのが幸いです。
今日で旅の半分は終了しましたが、極めてユニークな体験を盛り込んだツアーです。それを列挙すると以下のようになるでしょう。
1. 庶民の足ラインカーに乗ってミャンマー人を理解しよう。
2. 深夜の列車はノスタルジアが沸いて最高の雰囲気が沸く。
3. カローに来たらウラミンさんに出会ってみよう。
4. 夜行バスの長い旅も経験の一つとして貴重なもの。
5. ミャンマー友人との道連れは、相互理解を早める。
6. デラックスと簡素な宿の組み合わせも楽しみの一つ。
7. 現地食にも様々あり、州によっても異なります。
8. ミャンマーならでは異種類の乗り物を体験できる。
9. 人を呼ぶときの口笛ミャンマー風を実践しよう。(男性のみ)
10. ミャンマー喫茶店の雰囲気を味わおう。
11. おまけですが、マルチ言語のHOSHIBA氏をよろしく
さて、列車は12時出発ですから、30分前から乗車券の販売が開始になります。指定された時刻に駅に到着すると、駅員が申し訳なさそうに「貴方の列車は5時間の遅れです。バスを利用してタージに行くのが良いでしょう」と説明してくれました。これは大変なことになりました。計画変更です。この列車には2度乗ったことがあります。道中の景色は抜群で33回のスイチバックも圧巻です。80キロの山岳地帯をゆっくりと6時間かけて運行する観光ルートです。バスでいけば3時間少々で目的地に入ることが出来るのですが、列車の旅も体験したいものです。そんなもくろみが瞬時にして消滅したのです。スシ詰めのラインカーの世話になるしかありません。トンは屋根の上に席を確保しました。私も見習って屋根の上です。視界良好180度の展望が開けて悪くはありません。ラインカーは山道ゆえにそんなに早く走ることは出来ません。車両が古いのでエンジンの音だけがやたらと煩く聞こえるのです。オバサマたちは外国人料金で一人1,000チャットを請求されました。その分は責任を持って優先席を提供してくれます。地元の人は400チャットです。始めは高原地帯のさわやかな風を浴びての快適な屋根の上でしたが、山を降りるのにつれ、気温が高くなり、埃の分量も増えて来ました。あと1時間の辛抱というところでラインカーはノックダウンしたのです。しかし、それも手馴れたもので、20分で修復を終え再び疾走です。道中でオイルを補給したのは良かったのですが、しばらくはエンストの繰り返しです。一体この国の車はどんな性格をしているのでしょうか?5回ほどエンストを繰り返しようやく本調子にもどりました。合計3時間半の間揺られつづけた甲斐あって、お尻には床ずれが出来たのは私だけではなかったようです。しかし、我々は果敢にもそんな苦痛は何のその、逞しく次へ次へと行程をこなしていったのです。
隣の席(屋根の上)に乗っていたミャンマー人が「私はヤンゴンに行くのに列車を利用します。貴方もヤンゴンですか?一緒に駅に行きましょう」と気を使ってくれました。そんなわけで無事駅に到着。時間を確かめるとマンダレー行きの列車は時刻表では6時半ですが、1時間遅れて7時半に到着するとの話です。所要時間は3時間ですから、マンダレーには10時半が到着だと納得して切符を購入しました。べらべらとミャンマー語でまくし立てあっという間に切符の手配が済みました。外人は3ドル、ミャンマー人は100チャットです。周囲の人々、そして駅員も私のミャンマー語にあっけに取られたようです。出発までまだ3時間ありますから、近くの喫茶店で休憩し、更にレストランで休憩するはしご作戦を展開です。陽が落ちて涼しくなり、この3時間の休憩ですっかりと疲れが取れました。
さて、列車が到着する7時半を目がけて駅に戻ったのですが、更に1時間遅れるとの話です。となるとマンダレーの宿につくのは真夜中になってしまいます。あれあれ、この町に泊まって明日の朝の列車で行けばよかったのかなと後悔の念が沸いてなりません。しかし、切符は既に購入しました。もうしばらくすると列車は間違いなく入線します。もう覚悟を決めるしかありません。マンダレーは以前にも数回訪問したことがあり、駅と宿はそんなに遠くはありません。何とか解決できるでしょう。そんな一抹の不安を抱えながらの夜汽車です。木製の座席が並ぶ古い車両にオバサマたちは、不平不満を述べることなく、逆に過去の夜汽車の旅を連想して楽しんでいました。私としては、一刻も早くマンダレーに到着することを願うしかありません。そんな時に限って信号待ちや対向列車の交換に時間がかかるものです。車内は勿論ミャンマーの庶民の匂いが立ち込めています。他の国に比べて安堵感があるのが何よりもの救いです。
とうとう列車はマンダレーに到着しました。時計を見ると11時45分です。列車を降りるとサイカーの客引きが待ち受けています。そんな中を掻き分けて駅前にたどりつき2台のサイカーに分乗し、ひっそり静まり返ったマンダレーの町を15分ほど揺られ、以前宿泊したガーデンホテルに到着です。宿の玄関はもう鍵がかかっていましたが、玄関に近いところに従業員が眠っています。地元の世話好きな人がひょっこり現れて、起きろ起きろとガンガン鉄格子の戸を叩いてくれました。まもなく、受付の電気がつき見覚えのあるタミル系のオジサンが我々を迎えてくれました。即私はタミル語を交えて料金の交渉です。めでたく成立、冷房付きの部屋は一人5ドル、トンは1800チャットで利用できることになったのです。まさしくこの日は危機一髪に長い日だったのです。それにしてもオバサマ達の元気ぶりには脱帽です。何かしら耐久力のレースをしているかのような今回の企画にべったり張り付いて病気知らず、医者要らずなのです。竹串刺傷事件やチョット下痢気味というマイナーなことはいくつかあったようですが、いずれも大事には至っていないのが幸いです。
今日で旅の半分は終了しましたが、極めてユニークな体験を盛り込んだツアーです。それを列挙すると以下のようになるでしょう。
1. 庶民の足ラインカーに乗ってミャンマー人を理解しよう。
2. 深夜の列車はノスタルジアが沸いて最高の雰囲気が沸く。
3. カローに来たらウラミンさんに出会ってみよう。
4. 夜行バスの長い旅も経験の一つとして貴重なもの。
5. ミャンマー友人との道連れは、相互理解を早める。
6. デラックスと簡素な宿の組み合わせも楽しみの一つ。
7. 現地食にも様々あり、州によっても異なります。
8. ミャンマーならでは異種類の乗り物を体験できる。
9. 人を呼ぶときの口笛ミャンマー風を実践しよう。(男性のみ)
10. ミャンマー喫茶店の雰囲気を味わおう。
11. おまけですが、マルチ言語のHOSHIBA氏をよろしく