ヤンゴン市内観光
朝はホテルの屋上で朝食です。7時からの名物ビュッフェは飲み物、果物、中華料理、トーストと盛り沢山の品物が所せましとメインのカウンターをふさいでいます。何から手につければ良いか迷ってしまいます。ぼつりぼつりと客が集まってきました。屋上のガーデンレストランでの朝食はなかなかの評判です。客の中には、ここで腹いっぱい詰め込んで、昼食を抜いて夕食という節約人種も登場です。一流ホテルのビュッフェに比べると質は多少落ちるのですが、ドミトリーで3ドル、シングルで5ドル、トイレシャワー付きでエアコン装備の部屋は二人で15ドルというのは良心的な価格です。この宿は客引きに手数料を払うことはなく、その分で豪華な朝食を提供しているそうです。口コミで次第に人気を高めています。誰もが知っているホワイトハウスなのです。さて、メインのテーブルにミャンマー独自の道具を発見しました。いわゆる炭火焼トースターとでも名前を付けましょうか?丸い鉄器の中に炭火がこうこうとし、穴のあいた鉄製のおわんのようなものが乗っかっています。その上にパンを置けば良いのですが、うっかりすると直ぐに焦げて真黒になってしまいます。どうも、この原始的なトースターは10秒以内にひっくり返すのがコツのようです。家庭の手作りジャムが数種類準備されています。機内食で登場するミニパックのジャムなどに比べるとまさしく自然食で一味違います。
さて、ゆっくりと朝食に挑戦している間に、友人から電話が入りました。昨年知り合ったミャンマー片田舎の農業青年が今回の旅に同行するべくヤンゴンに到着したようです。実は先月ヤンゴンから本人に手紙を出し都合がつくようであれば、2月15日にヤンゴンに来てくださいと手紙を出したのが、無事届いた様子です。昨日の朝実家を出発して、夜行バスを利用してヤンゴンに到着したそうです。ちょうどバス駅から電話をくれました。実は今回の旅は、私たちにとっては初顔合わせに近いものでした。日本国内で数度会って話しをした程度で、どのような性格の人々なのかは全く不明です。しかも、彼女達にとって見知らぬミャンマー人との旅をするには、双方とも不安があります。しかし、ここまで来た以上は引き返すことも出来ません。もう、事態は引き返すことは出来ません。私は過去5年間の間に7度もミャンマーを訪問していますが、ミャンマーの田舎の人々にとってヤンゴンに行くことさえ一生に一度というケースが多いのは事実です。ましてや、マンダレーやインレーそしてパガンの遺跡などに足を踏み入れることの出来る人々は限られています。そんな田舎の好青年を招待という形で同行させたいというのが私の動機でした。そして、2時間後に無事全員集合、はるばる田舎から出てきたトン青年も加わり市内観光をすることになりました。宿の前の喫茶店でお互いに自己紹介ですが、本人は少しばかり緊張気味です。それは当然かも知れません。私のことは多少知っているのですが、初めて目にする日本のオバサン達とこれから何処へ行って、どんな旅が始まるのか皆目見当がつきません。しかも、本人は英語が出来ずミャンマー語のみという世界です。一方彼女達は多少の英語と日本語です。かろうじて私が多少のミャンマー語を理解できるので、それが掛け橋となっているにしか過ぎません。明日のバスの切符を4人分準備して市内に繰り出すことになりました。
まずは宿から歩いて10分の距離にあるスーレーパゴダにお参りです。こんな時に地元の人が一緒だと心強いものがあります。又同時に地元の人々の熱心に祈る様子を身近に感じることが出来るのです。トンは仏様の前に向かうと自然に真剣な眼差しになり、深々と頭を垂れてお祈りしています。私たちもそれを真似て真剣にならざるを得ません。ロンジ-姿で嬉しそうにキョロキョロしています。時間とともに皆と打ち解けてきました。これは、どうも家族旅行の雰囲気に近くなって来ました。外国人とミャンマー人とが共に旅行する場合はその多くがガイドと客の関係というのが常識ですが、今回の私たちの組み合わせはそういった事を外れた特殊なものです。周囲の人々も私たちの存在が気にかかるようです。ヤンゴン市内も最近は交通渋滞が激しくなりましたが、周辺諸国のバンコクほどではありません。信号無き場所を皆が勝手に自由に横切っています。それでいて事故を見かけることは殆どありません。旧式な車両と穴だらけの道路ではスピードをあげて走行するのは不可能です。多くの車両は音だけがすさまじいのですが、実際はそんなに速度が上がっていないのです。まさしく平和を絵に書いたような交通事情です。
さて、ミャンマーの国は二重、や3重通貨制ですから、実際の旅は多少複雑です。宿の料金はドルもしくは、入国時に強制両替で入手したミャンマードルの支払いになります。しかし、食べ物やバスの料金などは現地通貨のチャットを使います。食べ物や現地の交通機関の料金は日本の10分の1程度ですから、現地通貨を手に入れるといっきにお金持ちになった感じを受けるのです。市内バスは4円、喫茶店でのお茶やコーヒーは10円。大衆食堂でミャンマー定食を食べても70円というのが相場です。宿代は地方に行くと3ドルで豪華な部屋を利用することが出来ます。地元の人々は実際にはさらにその半額程度で利用しているのですが、それにしても、この国に足を踏み入れるとあまりの物価の安さにカルチャーショックを受けて日本に帰国するのがいやになるのです。そんなわけで、まずは両替をしなくてはいけません。ボージョーマーケットの知り合いを通してちょっと良いレートで両替をすることになりました。
その間、トンとオバサマはマーケットをぐるぐる徘徊です。ここでちょっとした事件が発生したのです。このマーケットは主にインド系少年達が便利屋さんとして罠を張っているので有名ところです。この市場の商店主や店員は英語に弱く、もっぱら地元のミャンマーのみで取引が行われています。そんな中に外国人を時々見かけるのですが、意志の疎通に一苦労しています。その仲介役をしているのが、自称マーケットガイドなる集団です。彼らの中には巧みに日本語を操って両替の取次ぎをしたり、買い物の通訳をかったりすることにより収入を得ています。ガイド達は警察が一番嫌いだそうで、時々彼らに賄賂を渡して違法な行為を見逃してもらうこともあるそうです。しかし、彼らはいつも明るい笑顔を見せてくれます。人を騙して大きく儲けようなどという悪質なものではありません。お客さんの案内を買って出て少しばかり小銭を稼いでいると見受けます。物価の違いがあまりにも大きいので彼らにとっては、外国人の購入金額の数%をコミッションとしてもらうだけでもこの国では大金になってしまいます。かといって毎日決まってそんな好都合な客にありつけるとは限りません。時々警察の手入れがあって一掃される場合もあります。それでも、逞しく彼らはここで立派な職を得ているのです。
ふとしたきっかけでオバサマたちも彼らの世話になりました。日本語とミャンマー語は文法が同じで、単語の用法も近いものがあります。ミャンマー語の発音は3種類の声調があり、日本語にない音が数種類あり、それを習得しない限り通じにくいのですが、彼らには生活がかかっています。どこで、どのように覚えたものか、このインド系の便利屋さんは日本語のほかに商売のコツもしっかりと覚えています。そんな彼らの御節介で買いたいものがスムーズに手に入るのも悪くはありません。概して価格というものは買い手と売り手の双方の合意で成り立つのが経済の原則です。ミャンマーの場合は他国の観光地のように極端に値段を吹っかけることは少ないようです。しかも、信じられないくらいに物価といい人件費といい安いのが現実です。一般にアジア諸国では、布地の販売と縫製は分業製ですから、布地を買うのに店を探し、縫ってもらうのに又交渉しなくてはなりません。それを一気に解決してくれるのが彼らの出番すなわち取次ぎ業務開始となるのです。オバサマたちも手馴れたもので、たどたどしい英語で精一杯価格を下げて交渉成立したもようです。お昼前に注文したドレスが夕方5時に仕上がることになりました。果たしてどんなものが出来上がるのでしょうか?
さて、ドレスが出来上がるまでまだ時間があります。この時間を利用してヤンゴン市内にある友人の僧院を訪問することになりました。行きはタクシーで駆けつけました。市内といっても町外れにありますから30分ほどかかります。実はこのお寺の一番偉いお坊さんがインドに留学するときに同じ飛行機に乗り合わし、私が節介を焼き無事にカルカッタ郊外の僧院にたどり着いたというエピソードのある所なのです。主席僧侶はインドの大学に留学中で不在でしたが、次席僧侶が生徒を前にして授業中だというのに拘わらず、それを中断して私達を迎えてくれました。勉強中だった小坊主達は目をくりくりさせてじっと我々を眺めています。苦手な勉強から開放されたのが嬉しいのか、私達の顔を見るのが珍しくで嬉しいのか良く分かりませんが、ここでも、ミャンマー独自のゆったりとした微笑に出くわすことになったのです。僧侶は我々をもてなすが為に小坊主の一人に冷たい飲み物を買いに走り出しました。
ミャンマー各地にはこのように僧院が数多くあり篤志家の寄付によって運営されているのが実情です。一種の教育福祉事業のような一面も兼ね備え、国家の中で根強くその機能を果たしています。寺小屋のようなもので、ここに入れば無料で読み書きが習得でき、仏教についても学ぶことが出来ます。俗人はお寺に寄付し、僧侶に喜捨をすることにより、後にありがたいお話を聞くことが出来、心の平和を得ることが出来ると信じています。そんななだらかな、滑らかな人々と寺院の関係が何百年と続いているのがミャンマーです。軍事政権といえども宗教指導者を大切にしています。TVで、何かのオープン儀式のあるときには必ず僧侶の姿が映し出されます。満員の市内バスでも必ず僧侶席があり、優先的に席を譲ることが義務となっています。
ここに、ミャンマー独自の社会の仕組み、いやミャンマーという国の平和の秘密が隠されているのではないでしょうか?最近の日本は寺院や僧侶の存在がおろそかになっています。物質至上主義と化した日本では寺院も一つの経済活動をになう場所になってきました。幼稚園や学校の経営を手がけ、檀家からの寄進だけでは成り立たなくなってきました。ミャンマーでは、人々は惜しげもなく寺院に寄付をしています。この寄付の風潮は裏を返せば、一種の賄賂と同じ意味になります。ミャンマーの現政権の官僚が賄賂の件で首になったと新聞で報道されています。昔の政権も賄賂がはびこり、一掃するのに軍事政権が復活したという歴史を抱えています。かくして敬虔なる仏教徒がお寺に寄進するという体質がそのまま政治の舞台でも繰り広げられるのは当然です。西洋の合理的精神がこの国では通用しない理由は、仏教を基本とした中道でファージーな感覚を受け継ぐからではないでしょうか?寺院や僧院に寄進する富を工業や農業のインフラ整備に充当すれば経済成長も急速に早まるでしょうが、誰もそんなことに飛びつきません。これが、今のミャンマーの基本かも知れません。私達は経済の成長を優先して、発展の発展を重ねた結果、皮肉にも大きな環境問題を引き起こし、複雑な人間関係をもたらし、ひいてはそれが、大きなストレスとなり世の中全体がぎすぎすするという結果をもたらしました。ミャンマーの社会は政治体制がどのような方向に進もうが、陰では僧院や寺院が大きく社会に影響を与えて続けているのです。
僧院の見学を終えて市内に帰るには31番のバスを利用しました。ミャンマーにきて今日で2日目です。日本の都市を走るバスとは雲泥の差があります。木造オンボロ市内バスの初体験が始まりました。料金は一人1円とか2円という設定で、時々びっしり満員になりますが、器用に客が中へ中へと詰め込まれて行きます。ちょっと荷物があって邪魔になると座っている乗客がスウーと膝の上に預かってくれます。日本でかばんを他人に預けるのは失礼にあたると考えられるのですが、ここでは無意識のうちに人に預けることになります。そんな信頼関係の強い満員の車内です。回教の国では、満員バスといってもパキスタンのように男女の席が完全に分断されている市内バスもあります。この場合、車掌は男性専用部分と女性部分を行ったり来たりして、切符の販売に大忙しです。ここでは、そんなことを誰も気にしていません。乗客も自己申告で支払いしています。ミャンマーのことですから、切符を受け取ることなどありません。車掌は前の入り口と後部入り口と二人いるのですが、乗り込んだ客をしっかりと覚えていて、料金の徴収を怠りません。超満員のバスの旅は延々と40分の乗車です。オバサマたちはこの車内で庶民の暮らしをつぶさに眺めることが出来満足そのものでした。最初は立ち席で結構くたびれたと思うのですが…。
さて、タイミング良くオンボロ市内バスはマーケットの近くに到着です。約束の5時は目前です。ドレスの出来栄えはどうでしょうか?そら急げ急げ!時間ぎりぎりに仕立て屋さんに到着です。彼女も私達の到着を待っていたようで、私達が着くと直ぐに完成品を出し着てみるように勧めてくれました。仕立屋としての誇りでしょうか、作品が客の体型にぴったりしているかどうか気にかかるのも当然です。初めてのミャンマードレスですから、着付けは仕立て屋さんが手取り足取りで教えてくれます。おお完成、まるでオバサマ達の年齢が一気に若返りました。これだと30歳第でも十分通用するではないですか。仕立屋さも満足そうに弁当箱を抱えて安心して自宅に帰りました。
さて、トンはバス停の近くに宿を確保しています。今日は終日我々のお供をしてさぞかし疲れた様子です。何しろ昨日の夜行バスでヤンゴン入りしたのですから、十分な睡眠を取っていません。夕方になると目がトロンとしてきました。知らない人々の中に入って何がどうなっているのか不透明な会話の中にいるというのは疲れを倍増させるものです。口では大丈夫と言っていますが、顔ではケロリと明るい表情を見せています。得たいの知れない日本人グループの不可解な行動を身近に体験して興味を示しているの部分もあります。買い物も終わり明日はバス停で再会することを約束して別れることになりました。いやはやトン君ご苦労様でした。
第2日目も無事終了です。宿のロビーで話し込んでいると見かけた女性が座っていました。先月バンコクで同じ宿に泊まっていた女性の姿を発見です。彼女は3週間前にヤンゴン入りをし、2週間の予定を更に延長してミャンマーの空気を楽しんでいます。一人旅の女性も交えて近くのレストランで乾杯です。彼女は小さいころ北京に住んでいたことがあり、その後中国語の習得で留学をし、大の中国ファンです。ここヤンゴンのホワイトハウスは最近中国人の旅行者が増えたのですが、中国語の話せるスタッフはいません。そんなわけで時々お手伝いに加わることもあるそうです。来週はバンコクに帰り、カンボジアを経由して日本に帰国の予定とのことです。瞳さんはその名の通り明るい瞳を輝かせて今までの旅の話をしてくれました。タイランドは年間1,000万人の外国人旅行者が集まります。それに比べるとここヤンゴンは年間40万人程度と報じられています。しかし色々な人々がそれぞれの夢を抱えて集まってくるのです。