第8日目マンダレー市内観光
昨日はぐっすり眠りにはいり、昨日の緊張感は吹っ飛んでしまいました。宿を2日づつ取るというのは翌日ゆっくり出来るという利点があります。パッケージツアーは豪華な宿に泊まり歩くのは良いのですが、毎日移動の連続ですから、気分的に落ち着かないものがあります。それよりも安宿で連泊するのが疲れをほぐす最善の策かも知れません。ホット・シャワーも出るし、エアコンもついているし、TVもついていますから満足できる宿です。トンもぐっすり眠りこけていました。
さて、マンダレーの丘といえば有名な場所で旅行者必見の一つです。私は一度出かけたことがありますから、トンにオバサマたちの案内を任せ、喫茶店でお茶を飲んで休憩です。1時間半ほどすると仲むつまじく皆が帰ってきました。トンは一冊の本を大事そうに抱えています。前回もそうでした。ピーの有名なお寺に一緒に参拝に出かけたところ、参道の店で本を見かけ嬉しそうに買い物をしていました。英語とミャンマー語の教本です。何故かミャンマーのお寺の参道沿いには数珠屋、仏具屋、土産物やそして、本屋さんが軒先を連ねています。今回は日本語とミャンマー語の教本です。オバサマ達が良き導師となり、着々と日本語が上達していきます。私達が日本で購入する書籍は立派な装丁で高価なものですが、ミャンマーのそれは、一冊50円程度で分厚い本を買うことが出来ます。しかし、彼にとっては一日の給料を越える金額です。その本を大切にあっちを開きこっちを開きして会話の練習です。中学校を卒業しただけで家計を助けるために農作業に従事している青年は嬉しさで一杯です。ミャンマーは識字率が高いことで有名です。おそらくそれは、仏教を前提にしている僧院が教育部門を支援しているからでしょう。どんな田舎に行っても僧院は必ずあり、普通の学校に行けない子供達は無料で読み書きが習得できるという制度を維持しています。インドやバングラデッシュのリキシャ(ミャンマーではサイカー)ドライバーの多くは儲けたお金を酒や賭博に使い、彼らの多くはその生活が荒んでいるのですが、ここでは、閑があれば読書をするインテリドライバーを多く見受けます。さて、教材は揃ったのでトンの心は一層明るさを増したようです。
昼食を終え、私はちょっと両替(FECからチャット)です。インド系イスラム教徒のオジサンが店番をしています。両替を依頼すると息子が裏から登場。自転車を飛ばしてどこかへ消えていきました。「店の親父は10分ほど待っておくれ、今お金を用意するから」ということです。ちなみに両替を看板に挙げている中級レストランは660チャット、貸し自転車兼両替取次店は690チャットというレートを提示してくれました。当然のことながら、後者に軍配です。
午後からは郊外にある200年前の木造の橋ウービンに出かけることになりました。ここでも、トンは数多く通過するラインカーの中から上手に我々の目的とする車を見つけ出してくれました。ミャンマーの人々は知らない人には親切にものごとを教える習慣があります。そして、知らない人々は何の恥じらいもなく、他人から教えを請うのが当然です。日本の現状を振り返ると、情報過多で人に道を尋ねることが少なくなりました。最近はやりのカーナビは人間性を抹殺する機器のさいたるものかも知れません。こうして、ミャンマーの人々の実生活に触れてみるとうらやましくて仕方ありません。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の損」という諺がありますが、日本の国ではそんな諺の持つ意味が不要になった社会かも知れません。人と人とがどのように付き合えばよいのか、人としての基本が失われた社会と見るのは私だけでしょうか?立派な木造の橋はのんびりした田園の中にあります。しばし、ここでテータイムです。夕方は超有名なマハムニ寺院の観光です。このお寺は外国人は3ドルとなっていますから、トンの登場です。彼にオバサマの案内を依頼しこちらは、陰でタバコを一服。地元の人は無料で外国人は3ドルの拝観料ですから、待遇がぐっとあがり、係員が鐘のつき方を手ほどきしてくれるという超VIP級のお参りです。トンも熱心にお参りに励んだそうです。
さて本日の行程は全て無事終了し、夕食の時間になりましたが、トンの様子がどうもおかしいのです。あれあれ、ご飯の前に薬を飲んでいるではないですか?どうしたのかと聞いてもチョットとしか答えません。本人は食欲もなさそうです。我々はそんなことは一向に構わず夕食を済ませ一緒に部屋に帰りました。トンはバタンと寝込んでしまいました。どうも熱があるようです。オバサマから体温計を借りて測定すると7度6分あります。これだと、体がだるいのは当然です。早速、全員一致で手厚い看護が始まりました。7度6分といっても油断が出来ません。もしかすると、もっと上昇するかも知れません。オバサマ達の心は深い悲しみで一杯です。「ここで倒れたら実の母親がどんなに心配するだろう、私達にも責任があります。一刻も早く回復するように手を尽くそう」私も気が気ではありません。額のタオルを交換たり、定期的に熱を測ったりしましたが、熱は一向に引こうとしません。7時に薬を飲んだとすれば、そろそろ熱が下がっても良いのですが、空腹で薬だけを飲んだのがまずかったのかも知れません。中国製の薬を購入して飲んだようで、包装材には漢字が混じっています。10時過ぎに無理やりビスケットを胃に流し込んで、日本製の熱さましを投与するとあっと言う間に熱が引き始めたではないですか!一時は、彼の様子を見て明日早朝の出発を延期しても構わないという申し出もありました。12時過ぎて再び熱を測ると6度台に大きく下がり、本人は汗びっしょりになっていました。微熱が続いた状態で汗をかくということは、熱が下がって行く前兆です。どうやら峠は越えたようです。全員ほっと胸をなでおろすことが出来ました。いやはや現地人の強靭さには驚きです。握手をしても、いかにも農家の青年という分厚い皮膚を感じます。夕方マハムニ寺院へお参りした時は、快活に振舞っていたのですが…。
一緒に旅を続けて1週間が経過しました。トンは周りの人々が日本人ばかりで、精神的に疲れが溜まったのではないでしょうか?いかにミャンマー人は楽天的性格の持ち主といえども、初めての土地、初めての旅、見知らぬ人々との会話、今まで食べたことの無い食事、そんな全ての事柄が毎日毎日めまぐるしく変化し、それを消化するのに限界に達し熱が出たのかも知れません。最後に待望のマハムニ参拝を終えてがっくりときたのかも知れません。目に見えないストレスが熱を引き起こしたと考えるのが妥当でしょう。私達の看護が奏をなしたのでしょうか?何とか災難は去って行きました。
さて、マンダレーの丘といえば有名な場所で旅行者必見の一つです。私は一度出かけたことがありますから、トンにオバサマたちの案内を任せ、喫茶店でお茶を飲んで休憩です。1時間半ほどすると仲むつまじく皆が帰ってきました。トンは一冊の本を大事そうに抱えています。前回もそうでした。ピーの有名なお寺に一緒に参拝に出かけたところ、参道の店で本を見かけ嬉しそうに買い物をしていました。英語とミャンマー語の教本です。何故かミャンマーのお寺の参道沿いには数珠屋、仏具屋、土産物やそして、本屋さんが軒先を連ねています。今回は日本語とミャンマー語の教本です。オバサマ達が良き導師となり、着々と日本語が上達していきます。私達が日本で購入する書籍は立派な装丁で高価なものですが、ミャンマーのそれは、一冊50円程度で分厚い本を買うことが出来ます。しかし、彼にとっては一日の給料を越える金額です。その本を大切にあっちを開きこっちを開きして会話の練習です。中学校を卒業しただけで家計を助けるために農作業に従事している青年は嬉しさで一杯です。ミャンマーは識字率が高いことで有名です。おそらくそれは、仏教を前提にしている僧院が教育部門を支援しているからでしょう。どんな田舎に行っても僧院は必ずあり、普通の学校に行けない子供達は無料で読み書きが習得できるという制度を維持しています。インドやバングラデッシュのリキシャ(ミャンマーではサイカー)ドライバーの多くは儲けたお金を酒や賭博に使い、彼らの多くはその生活が荒んでいるのですが、ここでは、閑があれば読書をするインテリドライバーを多く見受けます。さて、教材は揃ったのでトンの心は一層明るさを増したようです。
昼食を終え、私はちょっと両替(FECからチャット)です。インド系イスラム教徒のオジサンが店番をしています。両替を依頼すると息子が裏から登場。自転車を飛ばしてどこかへ消えていきました。「店の親父は10分ほど待っておくれ、今お金を用意するから」ということです。ちなみに両替を看板に挙げている中級レストランは660チャット、貸し自転車兼両替取次店は690チャットというレートを提示してくれました。当然のことながら、後者に軍配です。
午後からは郊外にある200年前の木造の橋ウービンに出かけることになりました。ここでも、トンは数多く通過するラインカーの中から上手に我々の目的とする車を見つけ出してくれました。ミャンマーの人々は知らない人には親切にものごとを教える習慣があります。そして、知らない人々は何の恥じらいもなく、他人から教えを請うのが当然です。日本の現状を振り返ると、情報過多で人に道を尋ねることが少なくなりました。最近はやりのカーナビは人間性を抹殺する機器のさいたるものかも知れません。こうして、ミャンマーの人々の実生活に触れてみるとうらやましくて仕方ありません。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の損」という諺がありますが、日本の国ではそんな諺の持つ意味が不要になった社会かも知れません。人と人とがどのように付き合えばよいのか、人としての基本が失われた社会と見るのは私だけでしょうか?立派な木造の橋はのんびりした田園の中にあります。しばし、ここでテータイムです。夕方は超有名なマハムニ寺院の観光です。このお寺は外国人は3ドルとなっていますから、トンの登場です。彼にオバサマの案内を依頼しこちらは、陰でタバコを一服。地元の人は無料で外国人は3ドルの拝観料ですから、待遇がぐっとあがり、係員が鐘のつき方を手ほどきしてくれるという超VIP級のお参りです。トンも熱心にお参りに励んだそうです。
さて本日の行程は全て無事終了し、夕食の時間になりましたが、トンの様子がどうもおかしいのです。あれあれ、ご飯の前に薬を飲んでいるではないですか?どうしたのかと聞いてもチョットとしか答えません。本人は食欲もなさそうです。我々はそんなことは一向に構わず夕食を済ませ一緒に部屋に帰りました。トンはバタンと寝込んでしまいました。どうも熱があるようです。オバサマから体温計を借りて測定すると7度6分あります。これだと、体がだるいのは当然です。早速、全員一致で手厚い看護が始まりました。7度6分といっても油断が出来ません。もしかすると、もっと上昇するかも知れません。オバサマ達の心は深い悲しみで一杯です。「ここで倒れたら実の母親がどんなに心配するだろう、私達にも責任があります。一刻も早く回復するように手を尽くそう」私も気が気ではありません。額のタオルを交換たり、定期的に熱を測ったりしましたが、熱は一向に引こうとしません。7時に薬を飲んだとすれば、そろそろ熱が下がっても良いのですが、空腹で薬だけを飲んだのがまずかったのかも知れません。中国製の薬を購入して飲んだようで、包装材には漢字が混じっています。10時過ぎに無理やりビスケットを胃に流し込んで、日本製の熱さましを投与するとあっと言う間に熱が引き始めたではないですか!一時は、彼の様子を見て明日早朝の出発を延期しても構わないという申し出もありました。12時過ぎて再び熱を測ると6度台に大きく下がり、本人は汗びっしょりになっていました。微熱が続いた状態で汗をかくということは、熱が下がって行く前兆です。どうやら峠は越えたようです。全員ほっと胸をなでおろすことが出来ました。いやはや現地人の強靭さには驚きです。握手をしても、いかにも農家の青年という分厚い皮膚を感じます。夕方マハムニ寺院へお参りした時は、快活に振舞っていたのですが…。
一緒に旅を続けて1週間が経過しました。トンは周りの人々が日本人ばかりで、精神的に疲れが溜まったのではないでしょうか?いかにミャンマー人は楽天的性格の持ち主といえども、初めての土地、初めての旅、見知らぬ人々との会話、今まで食べたことの無い食事、そんな全ての事柄が毎日毎日めまぐるしく変化し、それを消化するのに限界に達し熱が出たのかも知れません。最後に待望のマハムニ参拝を終えてがっくりときたのかも知れません。目に見えないストレスが熱を引き起こしたと考えるのが妥当でしょう。私達の看護が奏をなしたのでしょうか?何とか災難は去って行きました。