第14日目 トンと別れてヤンゴンへ
今朝は6時半起床で早めに朝食を済ませました。トンが田舎に帰るには8時のラインカーに乗らないとその日の内に村に入れません。何度も乗り継いで夕方5時過ぎに家の玄関をくぐることになるそうです。7時過ぎに全員でラインカーの乗り場まで見送りに行きました。8時までまだ20分ほどありますから、乗り場のすぐ前の喫茶店でお別れのお茶会です。周囲の人々は私達の関係が奇異に映ったことでしょう。予定よりも早くアウンラン行きのラインカーが通りかかり、トンはお茶を半分のみ残しての出発です。我々も飲み残しのお茶にもう一度口をつけるという慌ただしい役を演じました。ラインカーが到着すると喜び勇んで乗り込んで行きました。今回の旅を通して、トンの役割は何かと大きなものがありました。たとえ言葉が通じなくても、人の心と心が十分通じ合えたのではないかと思います。彼は又元の生活に戻ることでしょう。乾ききった大地で森に入り枝を切ったり、何らかの農作業に従事したりする日々が続くでしょう。私達も日本に帰り、普段の生活に戻る日も遠くありません。
さて、宿に戻って大失敗に気がつきました。ミャンマー人は身分証明書の携帯が義務付けられています。それを宿に忘れてしまったのです。宿の主人は大丈夫です。心配しなくても良い、本人はそのうち取りにくるからということですが、私の気持ちが静まりません。早速宿のマネージャーに手紙を書いてもらい速達書留で貴方の身分証明書はこの宿にあることを伝えました。その後どうなったことでしょうか?5月になると日本へ連絡がくるはずです。それまで気長に待つしかありません。
さて、私達は10時半のバスでヤンゴンに向かいました。早めに座席を予約したので前方に席を確保することが出来たのですが、西側で直接陽射しを浴びる特別席だったのです。これからバスの席を予約するときには太陽の向きを考慮して購入する必要があります。およそ6時間のバスの旅はアッと言う間に終わりです。道中立ち寄ったドライブインで食後に、デザートを振舞ってもらい、ミャンマーの人々の親切は最後の最後まで続きました。住み慣れたヤンゴンのホワイトハウスへは夕方4時半に到着です。
夕食は前回も利用したオキナワレストランです。日本で3年間働いていたミャンマー人の経営で外国人の姿もチラホラ見かけます。私達素人にとって宝石を買うのは難しいことですが、彼の手元に手頃な価格の指輪がありました。思った時に買わないと次の機会はいつ来るか分かりません。そんなわけで夕暮れのショッピングも兼ねた最後の夕食となったのです。ホワイトハウスのピーさんは在日本歴9年ですから、日本語たんのうで、日本語を交えて、いつも冗談に花を咲かせています。そんなピーさんとミャンマーの事情を話し込んで私が寝付いたのは真夜中の2時でした。
さて、宿に戻って大失敗に気がつきました。ミャンマー人は身分証明書の携帯が義務付けられています。それを宿に忘れてしまったのです。宿の主人は大丈夫です。心配しなくても良い、本人はそのうち取りにくるからということですが、私の気持ちが静まりません。早速宿のマネージャーに手紙を書いてもらい速達書留で貴方の身分証明書はこの宿にあることを伝えました。その後どうなったことでしょうか?5月になると日本へ連絡がくるはずです。それまで気長に待つしかありません。
さて、私達は10時半のバスでヤンゴンに向かいました。早めに座席を予約したので前方に席を確保することが出来たのですが、西側で直接陽射しを浴びる特別席だったのです。これからバスの席を予約するときには太陽の向きを考慮して購入する必要があります。およそ6時間のバスの旅はアッと言う間に終わりです。道中立ち寄ったドライブインで食後に、デザートを振舞ってもらい、ミャンマーの人々の親切は最後の最後まで続きました。住み慣れたヤンゴンのホワイトハウスへは夕方4時半に到着です。
夕食は前回も利用したオキナワレストランです。日本で3年間働いていたミャンマー人の経営で外国人の姿もチラホラ見かけます。私達素人にとって宝石を買うのは難しいことですが、彼の手元に手頃な価格の指輪がありました。思った時に買わないと次の機会はいつ来るか分かりません。そんなわけで夕暮れのショッピングも兼ねた最後の夕食となったのです。ホワイトハウスのピーさんは在日本歴9年ですから、日本語たんのうで、日本語を交えて、いつも冗談に花を咲かせています。そんなピーさんとミャンマーの事情を話し込んで私が寝付いたのは真夜中の2時でした。