日本からの客人を迎えるために当方は一週間早く現地入りをしました。マレーシアはIT産業が盛んです。教育水準も高くインターネットや電子メイルの送受信には不自由しません。日本の友人とはほぼ一日置きに現地情報を流すことが出来ました。今は雨季で毎日スコールがやってくること、キナバル山の朝は天候がよく午後は雨になるので要注意。そんなホットなメイルを交換しながらあっという間に1週間が過ぎました。
成田からコタキナバルまでは週一便の直行便があります。季節によっては2便になる場合もあります。同じマレーシアでも半島部とはかなり空気が違います。ボルネオ島は世界で3番目に大きな島と定義され、東マレーシア、インドネシアそしてボルネオという3つの国で構成されています。概してこの地域は人口過疎で、大きな町は数えるほどしかありません。
それにしても、マレーシアという国も不思議な国です。東シナ海をはさんで1500キロ以上離れていても同じ国なのです。その道中は単に海が広がるのみです。フィリピンやインドネシアなどは島峡国家と呼ばれています。島が連続していますから、領土が続いているといえるでしょう。スマトラ島とジャワ島は船で3時間移動すると対岸に到着します。ルソン島とミンダナオ島の間には連続して無数の島が点在します。ところが、ここは全く別の体系を抱えているのです。
さて、どのようにしてここはマレーシアという国に属することになったのでしょうか?昔の地図を見ると、この地域はブルネイの王様の支配下にありました。ブルネイの人々はマレー語を国語とし、イスラム教を信仰するという文化基盤があります。ここも同じ文化基盤を持っていますが、英国の植民地時代の影響を強く受け継いだサバ州は、第2次大戦後の独立運動の中でインドネシアに属するか、マレーシアに属するかが、問題になったそうです。この地域は現地に入ると実感しますが、誠に人口が少なく、行けども行けども荒野、山地が広がり人の気配は全く感じることがありません。この地域が一つの国家として成り立つにも無理があったように思います。最終的にはマレーシアの一部分という地位を得ることになりました。政府は人口過疎脱却のため、人口が密集しているマレー半島部からの移民を促進しているとの話です。
さて、日本からの直行便は予定より10分早く到着しました。送迎をする人々がちらほら姿をみせ、その中には日本人の姿を見受けます。直行便ということで直接ここコタキナバルに乗りつける人もいるようです。元来お客さんの送迎という場合はタクシーを借り切って乗りつけるのですが、今回の旅は地元のライフ・スタイルに親しむ方針ですから、市内バスで乗りつけることになりました。乗客がチラホラと姿を見せました。その中に見覚えのある友人が見えてきました。どうも荷物が出てくるのに時間がかかった様子です。税関や出入国の審査も無事終了し、汗をたらたらさせながら久しぶりの対面です。成田という巨大な空港に比べるとここコタキナバル空港はまさしく田舎のバス停留所といった様相を呈しています。でも、時刻表をみると、ここから直行でフィリピンのセブや台湾などへの便も運行されています。しかし、この空港ののんびりした環境が最高にお気に入りです。空港の周囲は椰子の木と熱帯の花に覆われて明るく光っています。そんな中をまずは歩いてバス停留所に向かうことにしました。大通りに出ると乗合バンが頻繁に走りキナバル市内にいくには不自由を感じません。料金もタクシーに比べると格段に安く、わずか1RM(30円)で市内に入ることが出来ます。
庶民の生活を知るには、こうした方法がベストなのかも知れません。がら空きの乗合バンは軽快にマレー音楽をかけながらあっと言う間に市内の目抜き通りに到着しました。既に宿は2人部屋を確保してあります。2人で朝食付き28RMという料金です。冷房付きの部屋もあったのですが、窓がなく、ドアを締め切ると真っ暗な部屋ですから、これは遠慮することになりました。日中はかなり蒸し暑いのですが、夕方はそれほどでもありません。嬉しいことにここはお茶(コーヒーや紅茶)が24時間セルフサービスで飲み放題なのです。
成田からコタキナバルまでは週一便の直行便があります。季節によっては2便になる場合もあります。同じマレーシアでも半島部とはかなり空気が違います。ボルネオ島は世界で3番目に大きな島と定義され、東マレーシア、インドネシアそしてボルネオという3つの国で構成されています。概してこの地域は人口過疎で、大きな町は数えるほどしかありません。
それにしても、マレーシアという国も不思議な国です。東シナ海をはさんで1500キロ以上離れていても同じ国なのです。その道中は単に海が広がるのみです。フィリピンやインドネシアなどは島峡国家と呼ばれています。島が連続していますから、領土が続いているといえるでしょう。スマトラ島とジャワ島は船で3時間移動すると対岸に到着します。ルソン島とミンダナオ島の間には連続して無数の島が点在します。ところが、ここは全く別の体系を抱えているのです。
さて、どのようにしてここはマレーシアという国に属することになったのでしょうか?昔の地図を見ると、この地域はブルネイの王様の支配下にありました。ブルネイの人々はマレー語を国語とし、イスラム教を信仰するという文化基盤があります。ここも同じ文化基盤を持っていますが、英国の植民地時代の影響を強く受け継いだサバ州は、第2次大戦後の独立運動の中でインドネシアに属するか、マレーシアに属するかが、問題になったそうです。この地域は現地に入ると実感しますが、誠に人口が少なく、行けども行けども荒野、山地が広がり人の気配は全く感じることがありません。この地域が一つの国家として成り立つにも無理があったように思います。最終的にはマレーシアの一部分という地位を得ることになりました。政府は人口過疎脱却のため、人口が密集しているマレー半島部からの移民を促進しているとの話です。
さて、日本からの直行便は予定より10分早く到着しました。送迎をする人々がちらほら姿をみせ、その中には日本人の姿を見受けます。直行便ということで直接ここコタキナバルに乗りつける人もいるようです。元来お客さんの送迎という場合はタクシーを借り切って乗りつけるのですが、今回の旅は地元のライフ・スタイルに親しむ方針ですから、市内バスで乗りつけることになりました。乗客がチラホラと姿を見せました。その中に見覚えのある友人が見えてきました。どうも荷物が出てくるのに時間がかかった様子です。税関や出入国の審査も無事終了し、汗をたらたらさせながら久しぶりの対面です。成田という巨大な空港に比べるとここコタキナバル空港はまさしく田舎のバス停留所といった様相を呈しています。でも、時刻表をみると、ここから直行でフィリピンのセブや台湾などへの便も運行されています。しかし、この空港ののんびりした環境が最高にお気に入りです。空港の周囲は椰子の木と熱帯の花に覆われて明るく光っています。そんな中をまずは歩いてバス停留所に向かうことにしました。大通りに出ると乗合バンが頻繁に走りキナバル市内にいくには不自由を感じません。料金もタクシーに比べると格段に安く、わずか1RM(30円)で市内に入ることが出来ます。
庶民の生活を知るには、こうした方法がベストなのかも知れません。がら空きの乗合バンは軽快にマレー音楽をかけながらあっと言う間に市内の目抜き通りに到着しました。既に宿は2人部屋を確保してあります。2人で朝食付き28RMという料金です。冷房付きの部屋もあったのですが、窓がなく、ドアを締め切ると真っ暗な部屋ですから、これは遠慮することになりました。日中はかなり蒸し暑いのですが、夕方はそれほどでもありません。嬉しいことにここはお茶(コーヒーや紅茶)が24時間セルフサービスで飲み放題なのです。