第5日目インレー湖周遊
今日は終日ボートを貸しきってインレー湖の周遊を楽しむことになりました。料金はAコース3500チャット、Bコース5000チャットです。Aコースは3時過ぎに、Bは5時過ぎに帰着となります。今回はAを利用しました。船は貸し切りで4人分の椅子が既に準備され私達を待っていました。船頭も気立てがよさそうに見えます。ほぼ定刻に出発。10分ほど水路を走ると視界が開けて大きな湖を目にすることが出来ます。船が近づくと水鳥がバタバタと散っていきます。この地方独特の片足漕ぎをしている船が、漁をしています。大きなバスケット型の竹製の筒を利用しての捕獲作戦です。しばらく行くと湖の中にトマト畑を見ることも出来ます。この湖は水深が浅く、最大で6フィートです。湖底の土を汲み上げ天然の肥料にしてのトマトはさぞかし美味しいことでしょう。船は水上集落の中を走りますから、そこに住む人々の生活をつぶさに観察することが出来ます。この地域は道路がありません。各家庭には小船が家の床下に鎮座し、それを利用して隣の家へ、買い物にいくようです。大人も子供も小さいころから水にはなれた生活をしているので、スイスイと船を操っています。自然と一体化した人々の生活にしばし、感動の連続です。
1時間ほどそんな景色を楽しんでから、市場に上陸です。この湖では周囲の主要な町に5日ごとのサイクルで順繰りに市が立つことになっています。船を降りて20分ほど歩くとカラフルな市場に到着です。普段はひっそりしているのですが、5日目には周囲の村人が集まって賑わいます。周囲はサトウキビ畑が広がっています。その中には点々と小さなサトウキビ精製所があります。ゆったりとした田園の中、日本では想像もつかない原始的な製法、製造所です。数人の従業員が黙々と作業をしています。この湖の水上集落には絹織物、銀細工、傘などを作る家内工業が盛んで、それを織り交ぜての船旅です。船頭と土産物屋との間に何らかの協定があるのでしょう。工場兼販売所はいつも気持ち良く我々を迎えてくれます。この機会を利用してトイレを拝借、お茶をご馳走になるのです。湖上には有名なお寺がありますが、その少し手前のレストランで昼食です。お昼ごろになると何艘かの船が専用の桟橋に横付けになりました。最後にお寺に立ち寄って船が帰途についたのは3時半でした。
トンの母はこのシャン州の出身で、父親はビルマ族なのです。しかし、この二人はどのように知り合ったものでしょうか?母の実家と現在居を構えているタエットは1600キロ離れています。今でも母が実家に帰ろうとすると3泊4日はゆうにかかる距離です。母方の叔母が今もミッチーナという町に住んでいるそうです。最近、ミャンマーの交通事情は大きく改善されました。ゆっくりですが、道路が、橋が整備され、人々の移動がスムーズになっています。しかし、トンの両親が出会った時代はどのようにして行き来をしたものでしょうか?インドの田舎などで結婚というと、新郎と新婦の実家の距離は遠くても100キロから200キロの範囲にあり、隣町や隣村から嫁を貰う場合が多く、ほぼ一日で行き来できる距離にあります。今は何千キロも離れた人と人との交流が盛んになり、南インドのケララ州の人が2000キロ離れたカルカッタの人と結ばれるという状況が発生します。日本でも昔は、隣村からお嫁さんを貰っていたでしょう。今は北海道の人と九州の人が一緒になるのも珍しくありません。時には国境を越えて国際結婚も盛んです。交通機関が発達し、何処からパートナーを貰っても一日あれば、たとえそれが、地球の裏側であっても相手の里にたどり着くことが可能になりました。トンの両親はどのような運命の巡り合わせがあったのでしょうか?彼は母親の里の雰囲気をたっぷりと味わっているようです。10歳の時に1ヶ月母親の里に行ったことがありますから、それを思い出しているのでしょうか?
水上散歩も無事終え、宿で一休みするともう、夕食の時間です。昨日は中華料理でしたから、今日はミャンマーカレーの店に挑戦です。さて、人に尋ね歩いてようやく発見したミャンマーカレー専門店。ここの宿が一風変わっています。メニューはなく、「ミャンマー人は350チャット、外国人は500チャット頂くことになっています。」とウェイターが申し訳なさそうに事前に通告してきました。外国人は何度もお代わりして沢山食べるからだそうです。宿代や乗り物で外国人料金と現地人料金という二重の設定はあるのですが、食堂でそんな例は初めてです。しかし、こうして事前に説明があるのがいかにもミャンマー的といえましょう。初めて体験するミャンマーカレーの定食セットはオバサマたちのお気に入りの一つとなりました。
標高1,000メートル付近にあるミャンマーの風光明媚な湖、インレー湖は自然と人々の生活が一体となり多くの実りをもたらして来ました。豊富な農産物はヤンゴンやマンダレーなどの都市に送られていきます。しかし、湖は知らない間汚染を受けつつあるのも現状です。便利なプラスチック製品の利用が増加し、強力な合成洗剤の使用が拡大し、湖に流れ込みはじめました。いすれはインレー湖も周囲の人口増加や現代文明の浸透により自然破壊が進行し、バランスを失うときがくるのでは無いでしょうか…?
1時間ほどそんな景色を楽しんでから、市場に上陸です。この湖では周囲の主要な町に5日ごとのサイクルで順繰りに市が立つことになっています。船を降りて20分ほど歩くとカラフルな市場に到着です。普段はひっそりしているのですが、5日目には周囲の村人が集まって賑わいます。周囲はサトウキビ畑が広がっています。その中には点々と小さなサトウキビ精製所があります。ゆったりとした田園の中、日本では想像もつかない原始的な製法、製造所です。数人の従業員が黙々と作業をしています。この湖の水上集落には絹織物、銀細工、傘などを作る家内工業が盛んで、それを織り交ぜての船旅です。船頭と土産物屋との間に何らかの協定があるのでしょう。工場兼販売所はいつも気持ち良く我々を迎えてくれます。この機会を利用してトイレを拝借、お茶をご馳走になるのです。湖上には有名なお寺がありますが、その少し手前のレストランで昼食です。お昼ごろになると何艘かの船が専用の桟橋に横付けになりました。最後にお寺に立ち寄って船が帰途についたのは3時半でした。
トンの母はこのシャン州の出身で、父親はビルマ族なのです。しかし、この二人はどのように知り合ったものでしょうか?母の実家と現在居を構えているタエットは1600キロ離れています。今でも母が実家に帰ろうとすると3泊4日はゆうにかかる距離です。母方の叔母が今もミッチーナという町に住んでいるそうです。最近、ミャンマーの交通事情は大きく改善されました。ゆっくりですが、道路が、橋が整備され、人々の移動がスムーズになっています。しかし、トンの両親が出会った時代はどのようにして行き来をしたものでしょうか?インドの田舎などで結婚というと、新郎と新婦の実家の距離は遠くても100キロから200キロの範囲にあり、隣町や隣村から嫁を貰う場合が多く、ほぼ一日で行き来できる距離にあります。今は何千キロも離れた人と人との交流が盛んになり、南インドのケララ州の人が2000キロ離れたカルカッタの人と結ばれるという状況が発生します。日本でも昔は、隣村からお嫁さんを貰っていたでしょう。今は北海道の人と九州の人が一緒になるのも珍しくありません。時には国境を越えて国際結婚も盛んです。交通機関が発達し、何処からパートナーを貰っても一日あれば、たとえそれが、地球の裏側であっても相手の里にたどり着くことが可能になりました。トンの両親はどのような運命の巡り合わせがあったのでしょうか?彼は母親の里の雰囲気をたっぷりと味わっているようです。10歳の時に1ヶ月母親の里に行ったことがありますから、それを思い出しているのでしょうか?
水上散歩も無事終え、宿で一休みするともう、夕食の時間です。昨日は中華料理でしたから、今日はミャンマーカレーの店に挑戦です。さて、人に尋ね歩いてようやく発見したミャンマーカレー専門店。ここの宿が一風変わっています。メニューはなく、「ミャンマー人は350チャット、外国人は500チャット頂くことになっています。」とウェイターが申し訳なさそうに事前に通告してきました。外国人は何度もお代わりして沢山食べるからだそうです。宿代や乗り物で外国人料金と現地人料金という二重の設定はあるのですが、食堂でそんな例は初めてです。しかし、こうして事前に説明があるのがいかにもミャンマー的といえましょう。初めて体験するミャンマーカレーの定食セットはオバサマたちのお気に入りの一つとなりました。
標高1,000メートル付近にあるミャンマーの風光明媚な湖、インレー湖は自然と人々の生活が一体となり多くの実りをもたらして来ました。豊富な農産物はヤンゴンやマンダレーなどの都市に送られていきます。しかし、湖は知らない間汚染を受けつつあるのも現状です。便利なプラスチック製品の利用が増加し、強力な合成洗剤の使用が拡大し、湖に流れ込みはじめました。いすれはインレー湖も周囲の人口増加や現代文明の浸透により自然破壊が進行し、バランスを失うときがくるのでは無いでしょうか…?